ママ友との距離感が、昔から少しむずかしい。 「むずかしい」という言葉にすると軽く聞こえるけれど、私にとっては、ずっと胸の奥にある小さな緊張のようなものだ。

嫌われるのが怖い。 これはずっと変わらない感覚で、子どもの頃から続いている“心のクセ”みたいなものだと思う。 誰かの機嫌を読むことが習慣になっていて、相手がどう思うかを考えすぎてしまう。 その癖は、大人になっても消えないまま残っている。

特に、女性同士の関係になると、そのクセが強く出る。 「マウントを取ったと思われないかな」 「余計なことを言ってしまわないかな」 「変に思われないかな」 そんなふうに、言葉を選びすぎてしまう。

だから、ママ友との会話はいつも慎重になる。 無難なことしか言えなくて、心の扉を半分だけ開けたままにしてしまう。 本当はもう少し気楽に話したいのに、どこかで自分を守ってしまう。

子どもの頃の環境が影響しているのだと思う。 毒親という言葉を使うのは少し勇気がいるけれど、私の育った家は、いつも誰かの機嫌が中心だった。 怒らせないように、嫌われないように、波風を立てないように。 そうやって生きてきたから、自然と「自分の意見を出すこと」が怖くなった。

その延長線上に、今の私のママ友関係がある。 決める場面になると、つい任せてしまう。 「こうしたい」と思っていても、言葉にする勇気が出ない。 妹みたいに、誰かの後ろを歩いてしまう。

でも、そんな自分を責めたいわけではない。 ただ、少しだけ疲れてしまうことがある。 「もっと普通に話せたらいいのに」と思う日もある。

ママ友との関係は、独特の空気がある。 子どもを通してつながっているからこそ、距離が近いようで遠い。 仲良くなりすぎても気を遣うし、距離を置きすぎても不自然になる。 その“ちょうどいい距離”を探すのが、私には少し難しい。

公園で会うとき、幼稚園の送り迎えのとき、LINEのやり取り。 どれも日常の一部なのに、どこかで緊張してしまう。 「この返事で大丈夫かな」 「変に思われないかな」 そんなふうに、心の中で小さな確認を何度もしてしまう。

そんなある日の朝。 送迎のバス停で、いつも挨拶を交わすママがいた。 特別に仲が良いわけでもなく、ただ同じ時間にそこにいるだけの関係。 その日、ほんの少しだけ世間話をしたとき、 彼女がふっと笑って「ゆめママさんって、面白いね」と言ってくれた。

本当に何気ない一言だった。 深い意味なんてないのかもしれない。 でも、その言葉が胸の奥に静かに残った。

私は、女性同士の関係がずっと苦手だった。 嫌われるのが怖くて、無難なことしか言えなくて、 自分を出すことができないまま大人になった。 だから、“面白い”なんて言われることはほとんどなかった。

その一言は、 「あなたの言葉はちゃんと届いているよ」 「あなたの存在は軽やかでいいよ」 そんなふうに肯定されたような気がした。

そして何より、意外だった。

私は自分のことを「面白い」と思ったことがない。 むしろ、慎重で、控えめで、無難で、 どちらかというと“目立たない側”の人間だと思っていた。 だから、その一言は、 自分の中のイメージをそっと揺らすような出来事だった。

たった一言なのに、 心の中の固まっていた部分が少しだけほどけた。

その日から、送迎の時間が少しだけ楽しみになった。 話す内容が変わったわけではない。 特別に仲良くなったわけでもない。 でも、私の中の“怖さ”がほんの少しだけ薄くなった。

ママ友との関係は、いまでもむずかしい。 でも、むずかしいままでいいのかもしれない。 無理に克服しようとしなくても、生活の中で少しずつ変わっていくものなのかもしれない。

私は、誰かと深く仲良くなることが苦手だ。 でも、浅い関係しか築けないわけでもない。 ただ、ゆっくりでしか距離を縮められないだけ。 そのペースを、無理に変えなくてもいいのだと思う。

子どもたちが私をまっすぐ見てくれる。 その視線に触れるたびに、 「私はこのままでいいのかもしれない」と思えるようになった。

ママ友との関係は、これからもきっと悩む。 でも、少しずつ自分の声を取り戻していけたらいい。 怖さを抱えたままでも、生活の中でできる小さな一歩を積み重ねていけたらいい。

今日も、子どもたちと過ごす日常の中で、 私は私のペースで、ゆっくりと心を開いていくのだと思う。

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